存在を否定していた大切な記憶(魂の計画通り大成功w)。

こんにちは!

はぴゆるの森のきょんです٩( ᐛ )و

 

このタイミングで

今更乍ら

暴露です(ザックリと〜w)。

 

誰もが通る道でしょうけれど

 

わたしにとっても

やはり

 

とても大切な事なので

敢えて綴るのです。

 

余りにプライベートな重めな(?)話です。

ご興味無い方はUターン願います(^^)

幼い頃

わたしは

 

存在を否定されていた。

 

と、感じていた。(シメシメ!魂の計画通りw)

 

物心つく前

もしかしたら胎内にいた頃かも

しれない。

 

両親にとって

初めての男の子が

亡くなり

 

やがて

姉が産まれ

 

次に又

男の子が欲しかった両親は

 

女の子であるわたしに

失望でもしたのだろうか?

(以前、親に聴いたが定かではなかった。)

 

何故かは

分からないけれど

 

物心付いてからのわたしは

自分の命が絶たれるかの様な

そこはかとない恐怖と

 

此処に居てはいけないという不安感を

常に抱えていた。

 

想えば

親からはずっと

男の子の名前で呼ばれていた。

 

お洋服も

姉はフリフリお花柄

わたしは紺色のシマシマ

とか。笑

 

女の子であってはいけない

そんな感覚が

ずっとあった。

 

初潮があった日

特に父に申し訳無い氣持ちが出て

自分でも戸惑った。

 

それ以降

男の子の名前で呼ばれる事は

減っていった氣がする。

 

幼少期のわたしは

側に家族が居ても居なくても

いつも孤独で独りぼっちで

寂しくて不安だった。

 

不安と恐怖に泣き叫ぶ時

誰かに護られているという

安堵が欲しかった。

 

けれど

親は

そんなわたしを心配してか?

鍛えようとしてなのか?

請け合わない事にしている様に感じていた。

 

寧ろ

不用な子

 

というメッセージを

その頃は

事ある毎に受け取っていた。(魂計画通りw)

 

姉や親戚の子達と遊ぶと

おっとりしていたわたしは

歳上の彼らの足手纏いになって

必ず仲間外れにされた。

 

悔しくて悔しくて

泣き叫んで追い掛けるのだが

 

嘲笑って走り去る彼らには

いつも追いつけなかった。キーーー\\\٩(๑`^´๑)۶////

 

そのせいか幼稚園の頃から弱いものイジメは許さなかった。小学校では男の子と取っ組み合ってでも弱いものイジメを辞めさせる子になった。

 

親は姉を誇りにしている様に見えた。

 

わたしの世界で姉は

逆らえない絶対的な存在だった。

 

そんな姉から

「アンタは用の無い子」

「私は光、アンタは影。」

と、言われ続けていた。

 

わたしは力無く

「その通りだ」と、呑み込んでしまっていた。

 

力無き、か弱き存在である祖母(当時w)が

唯一の居場所で居てくれた。

 

けれども

この家族の中で

彼女もわたしと同じく

弱い立場だったのでw

 

わたしの居場所は

常に掻き乱され不安定だった。

 

互いに罵り合う(ちゃぶ台返しするw)親達(当時w)が

わたしは大嫌いだった。

仲裁に入って吹っ飛ばされてたのもこの頃。笑

 

そして

そんな彼らを

親として選んだわたし自身のことも

わたしは大嫌いだった。

 

命の根源を冒涜する彼らを

わたしは恨んでいた。

憎んでいた。

 

けれど

そんな事お首にでも出せば

此処では暮らしていけない事を

子ども心に知っていた。

 

だから蓋をして悟られぬ様に

幸せそうな顔をして

何も考えていない顔をして

過ごした。

 

けれど心の中は

いつ自分の拠点が無くなってしまうのか

いつも不安で崖っぷちで

大嵐みたいだった。

 

 

思春期

姉が進学の為家を出ると

 

わたしを征服する存在が1人減り

 

今迄の仕返しなのか

 

親に対して

ずっと憶えていた殺意

にも似た怒りと悲しみが

 

やがて

爆発した。

 

家族はめちゃくちゃになった。

 

全部わたしのせい。

 

丁度その頃

祖母も肉体を脱いだ。

 

わたしが精神安定剤・抗うつ剤・睡眠薬と

一番仲良しになった時代w。(それ以降何十年もご縁無いですがね笑)

 

親不孝のドン底の人を

演じてた時代のお話(魂計画通り←クドいかねw)

 

そんな子ども時代の記憶は

 

その後

わたしも親になり

 

何十年もの時間を掛けて

 

再び親との関係性を見直し

都度、感情を深掘りしたり

氣持ちの擦れ違いを修復したりして

 

やがて

「幸せな“今”」に

置き換えられて行き

 

すっかり忘れ去られていた。

 

けれどね

 

幼い頃のわたしは

未だ

親を恨んだまま

 

『恨む』

という感情だけを

抱えたままの

“今”に居て

 

身動き取れなく

なっていたのでした。

 

未来のわたし(今現在)は

そんなこと

とっくに処理して解放している

って、勘違いしてた。

 

ってか

“恨む”なんて激しい感情

無縁だと想ってた!!

 

今まで幾ら

掘っても掘っても

出て来なかったんだよ!!

 

自分の中に

そんなに根深い強烈な感情が

在る事が一番ショックだったよ〜!!

 

親を恨んでいる

 

だから同時に

 

自分を冒涜することを許してしまってた

自分自身をも恨んでいたんだね!

 

そして

幼いわたしは

ずっとそこに居たんだねー!!

 

やっと見付けたぁ!!

 

そんな感覚だった!!

 

この年明けの雪の中の

氣まま車中泊の旅の最中

 

魂家族のお一人である

福島 肇氏のもとに行き

 

海の見える施術所で

ゆったりと施術を受け

身体の流れ

氣の流れを整えて貰った。

 

その後

1000人を超える足ツボ施術で

福島氏が統計的に編み出したと言う

ラッキー足ツボさんオリジナルの

げんきコーチングを受けると

 

これ迄どんなに深く探っても出て来なかった

この根深い感情がポロリと見付かったのでした!!

 

このセッションの初頭に

オリジナルのアンケートと問診票を見ながら

福島氏が開口一番放った言葉

「“怨み”という感情が一番激しいんですよね。」

 

わたしは

他人事としてスルーしていたが

 

セッションで対話が進む内に

ポロリと!!

 

「あ!わたし、親(自分)を恨んでたんだ!!」

 

余りにもアッサリと出て来た!!

驚いた!!

 

まさか自分にそんな感情があったとは!

けれど

凄くシックリ来てハートが震えていた!!

 

↑失礼!!施術後の足です。笑

 

 

そして

その後、

もう1人の魂家族の元へ行くと

 

お心の籠った薬膳料理を

ご用意してくれていて

彼女の心あたたまる

おもてなしを受けながら

ゆっくり

じっくり

色々と吐露する内に

 

自分が創っている現実の

奥深くの自分自身の感情に

少しずつ氣付いていったのでした。

 

いつも寄り添ってくれて

本当にありがとう。

 

それで

 

その日

愛車の中でひとりになった

わたしは

 

慌てて

そんな幼少期のわたしの元へ

走り寄ったのでした。

 

やっと見付けた〜!!

そんなとこに居たのね〜!!

 

もう大丈夫。

もう恐くないよ。

 

わたしがいつも護ってあげるから。

 

今のわたしは

あなたをずっと

護ってあげられるよ!!

 

こうして

幼い頃の不安でいっぱいだった自分を

見つけたわたしは

 

漸く彼女を

助けてあげる事が出来たのでした!!

 

これで

 

わたしは又一つ

自分を心底信頼出来るわたしに

なりました。

 

ありがとう。

ありがとう。

ありがとう。

大切な魂家族の皆んな!!

わたしの現実に登場してくれる魂家族の皆んな!!

ありがとう。

ありがとう。

ありがとう。

魂家族である

愛車の仔鯨君!!

 

ありがとう。

ありがとう。

ありがとう。

毎度、送り出し、待っててくれる

魂家族はぴゆる庵!!

 

ありがとう。

ありがとう。

ありがとう。

旅の道中出愛う

魂家族の皆んな!!

 

いつも

いつも

ありがとう。

わたしが

森の聴き耳さんで在る為に

とても大切な宝物が又一つ

見付かったお話でした!!

 

皆んな皆んな愛〜・:*+.\(( °ω° ))/.:+