森のうたをやってるってこと♪(いつものメンドクサイやつw)

こんにちは!

はぴゆるの森のきょんです٩( ᐛ )و

 

ピラミッド型社会を抜け出して

自由な暮らしを創り始めた頃

 

計画通り

魂が引き裂かれる

唯一無二の素晴らしい体験が出来た♪(独りSM笑)

 

その賜物として

迷い込んだ森でうたが降りて来て

森のうた(宇宙うた)をうたい始めた。(計画通り)

 

楽器を奏でるのは

“音の波”で“森のうた”をサポートするため。

 

ウクレレのアクアさんと

日本語のうたが降りて来た時期も楽しかったけれど

 

いまのわたしは

ハンドパンのmuuたんの音の波と共に

“森のうたをやって”いる。

 

〜ここからいつものメンドクサイ話w〜

(ご興味無い方はスルーしてね♪)

 

けれどもよく、

 

「奏者でしょ!」

「ミュージシャンでしょ!」

「音楽やってるでしょ!」

とかって言われる。

 

相手の期待している(であろう)ものを

わたしは持ってない(良い悪い、優劣、尊卑ではなく)事を

伝えたくて

 

「いえ、違いますよ!」

「わたしは音楽やっていないです」

とかって答えると、

 

「そんな謙遜しなくていいですよ!」

「卑下しちゃダメですよ」

 

とか言われて違和感が凄い。

※これらの登場人物達の言動は勿論わたし自身の投影ですwここから先はわたしの中の刷り込みとそこから解放されて一段と自由になろうとするわたしの問答です♪

 

謙遜か?

卑下なのか?

音楽やってないってダメなのか?

 

ただ、嗜好が、思考が、価値観が違うだけなのです

 

森のうたいびとを始めて何年か経った頃

音楽の世界も

ひとつの三角形のピラミッド型で

これ又ひとつのヒエラルキーだったと分かり

かなぁり衝撃だったから

 

わたしはそこには居ないのです。

 

あ!これと似てるかもって事想い出した

かつて親子遊びの講師をしてた頃の話!

 

わたしは

「きょんちゃん先生」

と、呼ばれる事を良しとしなかった。

 

「『先生』じゃなくて『きょんちゃん』って呼んでください!」

と、お願いしたら

 

大抵の主催者さんは

「先生、謙遜しないで下さい!」

と、言われた。

 

これとよく似てる。

 

謙遜か?

先生じゃないってダメなのか?

 

そもそも“先生”という言葉には

“教える者(上)”“教えて貰う者(下)”という意味が

内包されている。

 

わたしは親子さんたちと同じ立ち位置で

共に感じ共に発見して遊びの世界を共に創りたいのであって

彼らに教えたり従わせたりする事はしないのです。

 

そう説明しても

当時その世界には理解できる人はなかなか居なくて

困った事がある。

 

世の中には

氣付かない三角形がたくさんあって

そういう物には

“高貴”だとか“素晴らしい”とか“偉い”とかの

装飾や世の中からの賛美などの甘いお砂糖を

たっぷりとまぶしてあったりする。

 

美味しいからと食べ続けると中毒になり

それらが無いと枯渇してしまう。

 

ひとつの三角形から抜け出して

そうと氣付かず別の三角形に入りがちなのは

 

三角形に慣れ親しんでいる(若しくは中毒になってる)事

地球上の三角形以外の世界は視れないように目隠しされている
(地球に産まれた時点でこれは本人了承って事)

から。

 

なので

 

いまのわたしは

ハンドパンのmuuたんの音の波と共に

“森のうたをやって”いるのです♪

 

みんな皆んな愛〜・:*+.\(( °ω° ))/.:+

 

日本では、更に

宗教に対して批判や疑問を露わにしつつ

無宗教という名の宗教概念に侵略されておられる人々の

いかに多いことか!!

 

この話は機会があれば〜