こんにちは!
はぴゆるの森のきょんです٩( ᐛ )و
この頃
つくづく想うことです。
ユニバース(1つの宇宙)から
マルチバース(多次元宇宙)へ。
宇宙は無限に在る。
自分自身が創造主である。
創造主の数だけ宇宙が在る。
ってこと。
それぞれの宇宙は
それぞれに於いて真実。
あなたはわたし
わたしはあなた
全ての存在は等しく平等である。
ここ何年も
こーゆーこと
よく言われるよね!
ますます
これって大切だと
最近特に想います。
全てを司る特別な高貴な存在などいない。
それは
人間を支配・コントロールしたい存在の
詭弁である。
これって
めちゃくちゃ大前提。
けれど
以前のわたしがこれを聴いたら
何と傲慢な考えだ?!
と、眼の色変えて説教しただろう。
(介入魔だったからw)
今では逆に、
これを顕にしたら
説教されそうになったりで。苦笑
その場合は直ぐさま
距離を取る為、互いの価値観の相違を
お伝えしたりもする。
これは
わたしが「世界は◯◯◯だ!!」
とかって立証したいとか
訴えたいとかじゃ無くて
ただ単にわたしはこう想う
そして、
共感される存在さんと
共感出来ると嬉しいなぁ
的な感じで書いている。
*****
なので
なんか違う!とか
説教したくなる方(笑)は
Uターン願いますぅ〜♪
*****
かつて
そうと知らずに
“彼ら”の顔色を見ながら、
“彼ら”にとって都合の良いルールの中で
無邪氣に遊んでいた。
理不尽なことに対しては
仲間達と徒党を組んで
“彼ら”に抗議したり
嘆願したりもした。
都度、ほんのちょっと
言い分をきいて貰えたが、
後々になって、
それは“彼ら”の手の内(想定内・計画の一部)
でしかないと知った。
あからさまに
“彼ら”に苦しめられてる存在が居れば
出来る限り助けたり
庇ったりもした。
勿論、自分自身も助けて貰ったり
庇って貰ったりもした。
一方で、
この世界でどうやれば
もっと皆んなで仲良く楽しく遊べるか?って、
同じ価値観の仲間達と集い
情報を交換したり
学び合ったりもした。
“彼ら”のすることなすことを
自分にとって都合の良い様に咀嚼し解釈して、
無闇に流れに抗わないことが美徳だった。
多少の理不尽にも
平氣な顔をして切り抜ける術を
習得していった。
“彼ら”の作ったルールの中で
如何に上手くやり過ごせるか?
ばかりに終始していた。
今想えばそれは思考停止だった。苦笑
“彼ら”が荒んでる様に視えるのは
愛が足りないせいだと勝手に捉え、
愛を届けようとした事もあったが、
逆に“彼ら”には
愛なんて甚だ迷惑でしか無いのだ
という事も
やがて想い知る。
愛など滅法邪魔で、
権威・権力、お金にしか興味がない存在が
本当にこの地球に居るのだ
と、初めて知る。
いや、寧ろ“彼ら”が
権威・権力、お金に物を言わせる世界を創り
大聲で喚いていたが為に
わたしはそれを
唯一自分の世界だと
すっかり勘違いしてしまっていたのだ
と、知る。
“彼ら”の創りたい世界と
自分の創りたい世界は
全く別物だ
と、分かった。
そこで、
もうそこで無邪氣に遊ぶのは辞めた。
“彼ら”とは別の世界を
自分が創れるという事を知る。
ほかに誰が来るとも知れない
自分の感覚だけが頼りの世界。
その世界は当たり前過ぎて
何処にも無い様な顔をして
実は、何処にでも在る。
感覚にフォーカスして
心静かに平穏であればあるほど
そこにはいっぱいの仲間が居る
って事が分かる。
けれど
いつも仲間たちがそこに居るとは限らない。
必要な時、必要なだけ必要な存在が現れて
必要な体験が済むとアッサリと離れる。
だから
そこには誰も居ないのだが
誰もが居るんだ。
わたしが創ってる世界って
まるでそんな感覚。
そう
わたしは、何処にも居ない。
そして
わたしは、常に此処に居る。
皆んな皆んな
愛〜〜〜・:*+.\(( °ω° ))/.:+