『命の光を縮こまらせちゃいけないよ』って、どっかから言われた話。笑

こんにちは!

はぴゆるの森のきょんです٩( ᐛ )و

 

古民家“はぴゆる庵”での

いつものおままごと暮らしで

 

炭と七輪で湯を沸かして

珈琲淹れながら

ボーーーーーーっと

してたら

 

こんな事が

ツラツラツラ〜っ

浮かんできだので

以下、忘備録。

 

***************

 

命の光を
縮こまらせちゃいけないよ。

命の光を
想う存分伸び伸びと発せられる
方向へ。

それが宇宙の意志。

それを楽しみたくて
此処にやって来た。

 

***************

 

で、

ここからは

わたしの見解↓笑

 

けれども

このゲームには

罠や仕掛けがいっぱいあって、

スリルも迫力も満点。

 

光を発することを

良しとしない存在が

人間を支配・コントロールしてる

からね。

 

産まれた時から、

もうそのプログラムの中に居る。

 

それは産まれる前から分かっている。

敢えてのチャレンジ♪

 

そこから如何に外れて

自由に光を発するか

ってゲーム!!笑

 

だから、人間達を

支配・コントロールしようとする

存在やシステムには

氣を付けよう!

って、想うんだよ。

 

特に、

神という名の前には

氣を付けなくちゃいけないよね。

 

自分よりも崇高で氣高く

特別な存在が現れたら

氣をつけなきゃいけない。

(それってワンネスじゃないもんね。)

 

それを真に受けたら、

そこからどんどん自由を奪われて行く

からね。(わたしがミヒャエル・エンデの『満月の夜の伝説』が好きな由縁)

 

じょうもん後期の様に。

だから弥生の始まりの頃は

もう支配の中だったよ。

 

現代では、

じょうもんの頃の話は

ずっと知らされなかった。

故意に伏せられて来た。

 

弥生からの

神さま達の話を

長い間聴き続けて来たから、

 

自由は制約の中にあると

想い込まされている。

 

尊いとか卑しいとか、

上とか下とかいう考えは

三角だよ。

 

そっちは愛から

離れてしまう

んだよ。

 

これに

氣付いてる人

一体どれくらい

居るのだろうか?

 

 

わたしは

カトリックの幼稚園で教育を受けて

育ち、

日曜学校へも通った。

家族の影響で

クラッシックも好きだった。

 

学生時代はプロテスタントの教育を受けた。

讃美歌を歌うと穢れが解ける氣がした。

 

元々お祖母ちゃん子で信心深く

神社仏閣も大好きで

様々な情報を集めるのが好きだった。

 

マザーテレサにずっと憧れてた。

著書も何冊も求めてバイブルにしてた。

 

彼女の神々しさの前に在って

穢れた自分を悔い改め

号泣しながら

愛を誓っていた。

 

けれど、

宇宙と地球の真実を知ってからは

キナ臭さを感じ、

アッサリ離れた。

 

宗教界は坩堝。

それを賛美する為の音楽界も

そちらの洗礼をマッポシ受けてると知り

距離を置いた。

 

やはり騙されてた。

マジでそういう存在だと知ったよ。

 

未だに何か崇高なものを求めたり

神社仏閣や宗教的概念に騙されてる人達見ると

あ〜あ!って感じ。

 

ま、それも地球に来た醍醐味だから

お楽しみ様。

 

正直どーでもイイ。(←って言いながらもやっぱ愚痴ってまう(。-∀-)テヘ)

 

氣付いた時から

 

命の光を想う存分伸び伸びと発せられる方向へ。

 

それが宇宙の意志。

 

宇宙に在っても

地球に在っても

それは同じ。

それを楽しみたくて

やって来た。

 

わたし達は光。

 

これは
わたしの真実の
お話です。

 

みんなみんな愛〜・:*+.\(( °ω° ))/.:+

 

※敢えて書く事で自分への意識付けしてるすよ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です