“名前”って、ある意味“檻”じゃね?!ってフと浮かんだ話。

こんにちは(・ω・)ノ

はぴゆるの森のきょんです♪

 

久しぶりにめんどくさいです!!

&チョイ危険なかほりも。。。爆

 

苦手な方

「んなのどーーでもいーーし」って方

 

Uターン願います!!爆

 

さて。。。

 

遠くから

歩いて来る誰かを見て

「ああ、あのひとだ~!!」って

分かること

あるよね。

 

名前とか

何処で会ったとか

何処に所属してるとか

何をやってるひととか

 

そーゆー諸々を超えて

瞬時に

「ああ、あのひとだ~!!」

 

って。

顔も見えてない。

雰囲気だけ。

名前も出てこない(゚д゚)!

 

けど、

そのひと(そんざい)は分かる!笑

 

とか

 

初めて会った瞬間から

知ってる~~~

 

って

根拠のない信頼がある♪

意気投合しちゃう♪

 

で、何処の誰かって?

は?そんなの知らないよ!

 

とか。

 

ん^^~~~

 


↑写真は先日ハマった熊本の源泉かけ流し天然温泉の看板を
愛車から撮ったもの♪

 

そもそも

名前って何?

 

なんだか

象徴的なものではあるよね。

 

そんなこと考えてると

浮かぶ

十年くらい前に聴いた講演会。。

 

人工知能(AI)研究開発に長年携わって来られ

(株)感性リサーチを設立された“感性分析”の第一人者

黒川伊保子さんのお話で

印象に残っている事のひとつに

 

日本語は

“ことばの発音体感とそのイメージが見事に合致している唯一の言語”

 

と、いうのがあって

今でも甚く共感している。。。

 

他にもめっちゃ興味深いお話色々
詳しくはご著書など見てね。
(『日本語はなぜ美しいのか』など)

 

( ゚ ω゚)≪さくら。うめ。やま。うみ。

 

色んなものを発音してみると

実に口や唇

身体への響きや温度・体感

そのものの印象と違和感が無い。

 

(ああ、だからわたしは
日本を選んで生まれたのね♡って想うの♪)

 

そう考えると

名前って

 

わたし達がじぶんで

じぶんの印象・体感を

刻印してるっても

言えるかなぁ。

 

そもそも

ニンゲンとして

地球で暮らそう♪って想ったとき

 

名前という概念すら

無かっただろうから

 

日本社会の管理下で暮らすには

じぶんを自分で名付けて

ある意味

“檻”・“枠”・“枷”付けする必要が

あるんだなって想う。

 

だって、明治以降整備された

戸籍とかで日本で存在出来る出来ないにかかわるし

 

税金とか年金とか払って

国に護って貰わなきゃ~

諸々困っちゃうよ~~

 

けど(・3・) アルェー

その搾取されたお金の行方に

疑問・不安が絶えないのは

わたしだけじゃないよな。

 

まあ、

 

虫や草花、樹々

犬や猫や鳥や獣たち

 

果ては大陸、島、

台風とか海流とか

 

それぞれで

イチイチ名付けたり名乗ったり

そんな面倒な情報

要らない感じだもんな。。。笑

 

護るも護られるも

全て自己完結の世界だから

管理・介入なんて別世界だしな。笑

 

名前って

そのひとを認識したり識別したり

便利だけど

 

なんとなく

“枷”とか“檻”的な感じ。

 

地球の

日本(国)の

何処其処の地域の

ニンゲンです~~

 

的な。笑

 

本来の

エネルギー?

そんざい?

 

なにものでもなく

なにものでもある

 

無限∞の

循環の中で

流動的に浮遊?してる何かを

 

固定?固着?させる?

縛り付ける?

的な!!

 

何のために?

 

んんんん~

言葉って便利で難しいな笑

 

昔話とかで。。。

 

名前を言い当てられた鬼が

そんざいごとポカっと消えて

無くなってしまうのとか

 

壺を持って名前を呼んで

呼ばれたひとが返事を返したら

壺に吸い込まれて閉じ込められちゃうのとか

 

そーゆー

わたし達のそんざい“そのもの”と

“名前”ってものの意味を

言い得て妙だなって想うのね。

 

そして、

地球に居ても

別次元で生きてるそんざい達は

名前というものの檻では

括られていないんだな~♪

 

って感じるの。

 

名前によってニンゲン社会に参入出来て

名前によって楔を打ちこむ。。。

 

そんなこと感じる

今日この頃ですた♪

 

え?

逆に

「今更?」ってですか?

 

笑笑。。。

 

あ、そうは言っても

わたしはやっぱり対面が大事だな!!

 

SNSとかでは

名前頼みな部分も否めません!爆

 


↑熊本県有明町の雀榕(アコウ)の木♪

 

余談ですが

昔話と言えば。。。

 

予てからのわたしの

元号に関しての違和感のひとつを

 

小澤昔話研究所の

小澤俊夫さん(日本のドイツ文学者、筑波大学名誉教授)が

見事に著しておられるので

リンク貼らせて頂きます。

『昔あったづもな通信』
第72号「元号をやめて西暦にしませんか」

 

うふふ

みんなみんな愛だね~~♪゜・*:.。. .。.:*・♪

 

最後までお付き合い

ありがとうございますたつ(≧ω≦)